旅行記や映画・本などの感想、日々の出来事など・・・
by bluecult
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カテゴリ: ┣メキシコ( 32 )
サンミゲル砦
7日目(2005/4/13)Campeche

街から少し離れた砦へ行ってみることにした。旅行会社のおばちゃんに、「暗くなってからは治安があまりよくないから、観光客には朝のうちに行くことをお勧めしてる」と言われたので、カンペチェへ到着した日ではなく、メキシコシティへ発つ日の朝行くことにした。

c0035559_15484114.jpgc0035559_15485389.jpgソカロの角のレストランで朝ご飯を食べた後、走ってきたタクシーを捕まえた。市内観光バスは人が集まってないので動く気配は全くない。タクシーが手っ取り早い。

街の西の方にはサンミゲル砦、東に向かうとサンホセ砦があり、それぞれマヤ博物館、海賊博物館を併設している。どちらも、海賊の攻撃から市内を守るために18世紀に建てられた。

私たちはカラクムル遺跡で発掘されたヒスイの仮面が見たかったので、それが展示されているサンミゲル砦に向かった。帰りの足がないので、タクシーの運ちゃんに
待っててもらおうかと思ったが待ち代が高いので、1時間後にまた来てもらうことにして、仮面などの出土品、ミイラをちょっと急ぎ目で見て回った。

砦の上部(屋上)には、見張り台と大砲が並んでいて、メキシコ湾とカンペチェの街を一望できる。のんびり景色を楽しんだ。メキシコに着いてからずっと急ぎ足だったけど、ここは他に誰もいなかったこともあって時間がゆっくり流れてる感じ。

約束の時間に行きのタクシーが迎えに来てくれることはあまり期待してなかったけど、他に客が捕まらなかったのか、ちゃんと時間通りに迎えに来てくれた。
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by bluecult | 2005-05-18 17:26 |  ┣メキシコ
カラクムル遺跡(3)
6日目(2005/4/12)Campeche

<球戯場、13号神殿>
c0035559_1502657.jpgCentral Plaza以外の見所は、広場の西側のGrand Acropolisと呼ばれるエリアにある球戯場。球戯場とその正面にある13号神殿とは、マヤの神話に基づいた象徴的な配置関係になっていると考えられているらしい。ステラ(石碑)は建物の前や頂上だけじゃなく、階段の途中にも立っている。階段からは木も生えてて、なんだか時を感じた。

ここまで見て回って、疲れたので一休み。お腹も空いたので、13号神殿の階段に座って、お昼ごはんの果物を食べた。

最後に1番高い1号神殿に上るのが残っているから、と2号神殿の頂上でガイドさんが(たぶん)言っていたので、向かっているのは1号神殿だと思ったんだけど、ひたすら歩いて辿り着いたのは駐車場だった。もしかして、まだ1号神殿は修復中なのかな?まぁ、ピラミッドには何度も上っていたし、2号神殿で景色は満喫したし、歩き回ってしんどかったから、まぁいっか、と特にガイドさんには何も言わずそのまま帰ることになった。その時点で3時過ぎ。あとは、牧場やブッシュという単調な景色を眺めつつ、睡魔と闘って、カンペチェに戻って来たのは、予定よりだいぶ早く19時過ぎ。途中ガイドさんは病院の前で、バイバイって車から降りて行っちゃった。もしかして、それで急いでたとか・・・?後は、アシスタントくんがホテルまで送ってくれた。

カラクムルで一番ビックリしたのは、トイレ!!!遺跡への入り口のあたりにあるトイレなんだけど、入ってみて、一瞬固まった。どうやって使うの・・・?外国人が和式トイレに悩む気持ちと同じかも。あー、写真撮っとけばよかったな〜。下の図でイメージ湧くかなぁ?

c0035559_0115321.jpgドッスン便所だってのは分かる。便器の横に水の入ったバケツとそれを汲む
空き缶があるから、用を足した後はそれで水を流すってのも分かる。で、前の方に仕切りがあるのは何??前方の仕切られた部分の中の穴から下に流れ落ちたものは、便器中央の穴からドッスンの穴に落ちるみたい。とりあえず、この仕切られた部分の中に
したらいいのかなぁ?(「大」は詰まるから、こっちじゃないと思うけど)一体何のために仕切りがあるんだろう???

ちなみに、もちろんこの便器に便座はなく、見た目からしてばっちかったので、腰を浮かせて用を足しました。 はい、以上。
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by bluecult | 2005-05-18 00:53 |  ┣メキシコ
カラクムル遺跡(2)
6日目(2005/4/12)Campeche

<2号神殿>
c0035559_1362413.jpgひぃひぃ言いながら一番上まで上ると、いい風が吹いていた。360度見渡す限りジャングルが広がっている。すごい景色だ・・・。すぐ左手にもこの2号神殿と同じような規模のピラミッド(1号神殿)の頭が出ている。(あ、でも、写真左は正面の7号神殿)
こうやって上から見れば、ジャングルから頭を出している遺跡は見つけられるけど、ジャングルの中を歩いていても何にも見えないから、近年まで発見されなかったのが理解できる。

c0035559_1363623.jpgCentral Plazaの一番南に位置する、底辺140㎡、高さ55mのカラクムルの中で2番目に大きい神殿。下から見上げても、一番上まで見えないくらい。2号神殿は先古典期に建てられたが、その後古典期に増築が行われた。ピラミッド(II-B)の上に、さらに土を盛って
ピラミッド状の神殿(II-A)を建設したらしい。下のピラミッドには、38の暖炉、メターテ(トウモロコシをすり潰す石の道具)、祭壇や墓などと共に9つの部屋が見つかっているらしい。


<3号神殿("The Palace")>
Central Plazaからちょっと外れたところにあるピラミッド状の建造物。
c0035559_11294.jpgピラミッドの基盤の頂上に居住区がある。中は10部屋くらいの小部屋に分かれていて、2、30人が住んでいたらしい。珍しいと思ったのは、小窓があること。

c0035559_13672.jpg
c0035559_201458.jpgこの神殿の内部からは、ヒスイのモザイクの仮面や真珠や魚の骨などの装飾品と共に墓が見つかった。内陸部なのに魚の骨が見つかるということは海岸近くの都市から物がたくさん運ばれてきたんだろうな。

左の写真はカンペチェにある博物館に展示してあるもの。


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by bluecult | 2005-05-15 22:29 |  ┣メキシコ
カラクムル遺跡(1)
6日目(2005/4/12)Campeche

バランクを後にして、再び車で移動。自然保護区に通ずる分かれ道で国立公園への入園料?を取られる。そこから南下する道(途中までは舗装されているが、途中からは砂利道)を1時間ほど走って、ようやく遺跡の入り口。保護区に出入する人数と国籍をチェックされる。

カラクムル(Calakmul)
カンペチェから約350km南東、グアテマラとの国境から約30kmのジャングルの中にあるマヤ文明最大規模の遺跡群。1931年に見つかり、現在もまだ発掘が続いているが
2002年世界文化遺産に登録された。一般の人に公開されるようになってから日が浅いのと、アクセスの不便さで、訪れる人はまだ少ないみたい。

神殿はグアテマラのティカルとも似通った部分が多く、250年〜695年の古典期には、そのティカルやパレンケなどとも並ぶ勢力を誇っていたようだ。複数の大きな神殿と、その前に立ち並ぶステラ(石碑)が特徴。

カラクムルは、ジャガーも棲息するというグアテマラまで続く広大な自然保護区にある。だから、入り口を入ってからも、遺跡まで森の中をひたすら歩く、歩く、歩く・・・。最初の神殿(Central Plaza)まで2kmって言ってたけど本当かな。ガイドさんによると(回れる所を)全部回るコースだと、1周するのに5時間ほどかかるらしいが、ツアーは3時間ほどかかる主要な遺跡を見て回るコースで回った。

自然保護区の中には様々な動物たちが棲んでいる。サルや鳥、蜘蛛、ジャガーや豹。私たちが訪れた時はナマケモノを見ることができたが、この時期ジャガーは餌を求めて南下しているということだった。残念、ちょっとジャガー見たかったな。あと、保護区の中だけでなく国道でも、ものすごい数の蝶(蛾?)が飛んでいた。

森の中をひたすら歩いているとそのうち開けた場所に出る。カラクルムの中心部分になる広場で、2号神殿から8号神殿からなり、南北に伸びるCentral Plaza。

<7号神殿>
c0035559_1132586.jpg広場を入ってまず右手、広場の北側にあたる7号神殿に上ってみた。一番上まで上ると、結構高くて見晴らしがいい。正面に密林から頭を出した2号神殿、その左側に1号神殿が見える。

<4号神殿、6号神殿>
c0035559_115325.jpg広場の東側にある、階段状の建造物が
3つ連なった細長い建造物。その向かい、広場の西側にある6号神殿から天文観測をしていたようだ。
6号神殿の上に立った観測者は、太陽が昇る位置で、春分・夏至・秋分・冬至を特定した。夏至には、4号神殿の最北(7号神殿側)のピラミッドIV-A、冬至には、4号神殿の最南(2号神殿側)のピラミッドIV-C、春分・秋分には、4号神殿の中央のピラミッドIV-Bの背後から太陽が昇るよう設計されている。


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by bluecult | 2005-05-15 22:28 |  ┣メキシコ
バランク遺跡
6日目(2005/4/12)Campeche

この日は朝早くからカラクムル&バランク遺跡ツアーに出かける。一番遠いカラクムルはグアテマラ国境に近いこともあってカンペチェを6時に出て22時に戻る予定の
1日がかりのツアーになる。

カラクムルの周辺(といっても数十kmは離れているが)には、バランク(Balamkú)遺跡、リオ・ベックスタイルと呼ばれる建築様式の遺跡群
 シュプヒル(Xpuhil)、ベカン(Becan)、チカナ(Chicana)、
 オルミゲーロ(Hormiguero)、リオ・ベック(Rio Bec)

があるが、日帰りだったので、ツアーに含まれるのはカラクムルとバランクのみだった。

時間通り6時にホテルに迎えが来る。
旅行会社で申し込んだときにもう一組迷ってる人たちがいるということだったが、結局迎えに来たのはドライバー兼ガイドとその見習いが乗った普通の乗用車だった。
8時頃、途中にある街のレストランで1時間近く朝食を取る。遺跡周辺は自然保護区なので食事を取るようなお店は全くない。そのため、昼食用に八百屋で果物を買っておく。さらに1時間ちょっと走って、ようやくバランク遺跡に到着した。

バランク(Balamkú)
カンペチェからカラクムルのある自然保護区に繋がる道路からはずれ、すこし入ったところにある。
1990年に偶然発見されて、修復などが行われたが、どこもかなり浸食が進んでいた。550年から650年の間に建てられたと考えられている先古典期のマヤ遺跡。
Balamkúはマヤ語で、Jaguar's Temple(balam=jaguar、ku=temple)という意味で、その名のとおりジャガーの美しいレリーフが残っているらしい。(古い神殿の外壁だったが、後からその外側に新しい神殿が建てられたため、鍵を開けてもらって建物の中に入らなければ見れない。開放する期間が決まっているということで、私たちは見れなかった。)

<マヤ式の家>
c0035559_0481125.jpgマヤ時代、身分の高い人は石造りの家に住んでいたということだが、一般の人々はこのような家に住んでいた。現在でも、このマヤ式の家に住んでいる人がいる。メリダから遺跡に向かう途中の街でも見たし、驚くことに、日常的にマヤ語を話す人もいる。カラクムルの案内板の多くは、スペイン語、英語、マヤ語で書かれていた。

<The House of Four Kings>
建物の中に入ると、浮き彫りの美しい壁とその上にそびえる神格化された王の彫刻が4体ある。王の誕生と死と太陽の1日のサイクルが重ね合わせて表現されている。太陽が地表から昇るように、王が地の怪物の口から出現し、太陽が沈むように、王の死は地の怪物の口の中に呑み込まれる様子で表された。

c0035559_264188.jpgc0035559_22492052.jpg
写真左が西側にある沈む太陽(王)を、写真右が東側にある昇る太陽(王)を意味する彫刻。
どう違うんだろう?昇り沈みを意味する表現があるのかな?それとも方角だけ?

彫刻の全体像を写真に撮らなかったのが悔やまれるが、写真の像の下に、地の怪物(Cauac)が彫刻されており、地の怪物の裂け目から両性類が、そしてその180°開かれた両性類(カエルとワニ。写真はカエル)の口から王が出現している。地の怪物の口からは蛇が伸び、それらの横にはジャガーが描かれている。
「下界=死後の世界」と「上界=神々の世界」とを隔ている地の怪物とジャガーは「地上の富」を、両性動物はその生殖能力から「多産・豊穣」を象徴している。両生類は水陸で生活することから、2つの世界を行き来することを意味している。


<住居跡>
c0035559_0595584.jpg神官の住居跡。
小部屋が3つ連なった長屋になっている。真ん中に見える5つの穴、住んでいる人の階級が高い証拠。他の2部屋は、それぞれ3つ、1つしか穴が空いていなかった。

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by bluecult | 2005-05-15 00:38 |  ┣メキシコ
カンペチェの街
5日目(2005/4/11)Mérida〜Campeche

バスに揺られること1時間ちょい。カンペチェのバスターミナルに到着。しっかし、何にもない・・・メリダでホテルの予約を取ろうと電話したが通じなかったので、とりあえず直接そのホテルに向かうことにした。セントロまでは1.5km程あるのでタクシー乗り場に行くが、タクシーは1台も待機していなかった。まぁ時々やってくるので、待つしかない。数人待っている人がいるが、列なんて存在しないので、タクシーが止まった所に一番近い人から乗り込んでいった。

c0035559_19591912.jpgカンペチェはスペインによって最初に作られた要塞都市。1540年にスペイン軍によって征服され、メキシコ有数の貿易港となったが、以降、海賊の襲撃がたび重なるようになったので、18年の歳月をかけて要塞を築いた。1999年にこの町並みが世界文化遺産に登録された。
c0035559_213990.jpgホテルPosada del Angel(ポサダ・デル・アンヘル)にカンペチェでの宿を確保。城壁と砦に囲まれた旧市街の中、カテドラルの向かいにあるので便利だった。
部屋も広くてなかなかきれいだったし、ツインでN$351だったので満足。ただし、私たちの泊まった部屋のトイレには便座がなかった。
空港やレストランなどでも時々便座がないトイレにお目にかかることがあるのだが、これは日本人の私にとっては、う〜んと唸ってしまう光景だった。空港とかいくつか個室があれば、便座があるところを探せるけど、ホテルのトイレとなるとどうしようもないし、まぁ汚くはなかったので、そのまま座って用を足してたけど。メキシコ人は気にならないのだろうか・・・?

c0035559_1954690.jpgホテルに荷物を置いて、周辺をブラブラしながら、インフォメーションと旅行会社を探す。「歩き方」によると、ソカロに面したインフォメーションは2つあるはずなのだが、結局カテドラル側のインフォメーションしか見つからず、そこに入る。
カンペチェから出ている遺跡ツアー(エズナーと
カラクムル)のチラシをもらって、どちらの遺跡に行くか考えるため、とりあえずインフォメーションを後にした。
c0035559_19535326.jpgc0035559_2174788.jpg
旅行会社がちょうどシエスタ(昼寝)の時間で閉まっていたので、腹ごしらえ。カテドラルとソカロの間の通りを海と反対側に歩いてすぐのところにある大衆食堂のLa Parroquiaに入った。ここは地元の人が多くて、わりと安いしおいしいので毎日通ってもいいと思った。実際次の日にも行ってしまった。私が注文したのは、写真左のチラキーレス(Chilaqurles)。これがまたおいしい♪小さく切ったトルティージャをチキンと一緒にトマトソースで煮込んだ物。写真右は、友人が頼んだメキシコの定食料理Comida Corrida。サラダとスパゲティ、この日は卵と豚肉かなんかの炒め物。デザートは付いてたか覚えてないけど、これで300〜400円なら安いよな。

そろそろ手持ちのペソが少なくなってきたので、銀行で両替をしておく。銀行はどこも長蛇の列・・・仕方なく並ぶ。やはりメリダよりもレートが少し悪い。

c0035559_0314847.jpgインフォメーションでもらったチラシの旅行会社を訪ねる。カンペチェから50kmくらいのエズナー遺跡か、約350km離れた地にあるカラクルム遺跡か迷った末、せっかくなので1日がかりのカラクルムツアー(確かN$900くらい)に申し込んだ。

ついでに、カンペチェ〜メキシコシティの飛行機のチケット(N$2205.06)も予約。実はこの旅行会社では発券できなくて、メッセンジャーで近くの(航空会社の?)オフィスに連絡して、そこからわざわざこの旅行会社まで持ってきてくれたので、現金のみの支払いだった。

c0035559_21495757.jpgメキシコ湾を見に、海岸の方へ行ってみると、海岸線に沿ってジョギングコースが延々と続いている。若い人から中年の人までみんなジョギングをしていた。健康に気を遣っているのかもしれないが、こんな小さな街じゃ他にすることもないのかな。・・・なんて勝手な想像かもしれないが。
c0035559_2141773.jpgカテドラルに面しているホテルの窓から撮った。(部屋の窓じゃないけど。私たちの部屋は一番奥で外が窓なかったから。)
夜は暖色系の街灯で、旧市街はいい雰囲気。
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by bluecult | 2005-04-30 22:09 |  ┣メキシコ
メリダの街(3)
5日目(2005/4/11)Mérida〜Campeche

カンクンに行くのを止めたけど、メキシコシティの滞在日数を増やすもの嫌だったのでカンペチェというメリダの南西150kmくらいの要塞都市へ向かうことにする。

旅行会社が開くまでの間に朝食を取るために、ソカロ周辺に出かける。ソカロ周辺の通りにあるバス停には、どこも長蛇の列ができていて、人とすれ違うこともできない。州庁舎のすぐ西側の通りにカフェが連なっていたので、そのあたりで地元の人がいそうなお店に適当に入った。私が食べたのは、オレンジジュースとウエボス・ランチェロス(Huevos Rancheros)。トルティージャを敷いた目玉焼きにトマトソースとサルサ・ヴェルデがかかっているもの。付け合わせにフリホーレスとレタス、トマト。ほかほかのトルティージャも数枚付いてくる。料理が出てくるまでの間に、ナチョス(Nachos)も付き出しとして出てきたので、おいしかったのに、お腹いっぱいになって全部食べられなかった。メキシコに来て全部料理を平らげたことってほとんどないかも。友達は、やっぱりトルティージャはタコスよりもソースに絡めて食べる方がおいしいと言いながらお気に入りのエンチラーダス(Enchiladas)を食べていた。うん、私もそう思う。どうしても口の中がもそもそしてるように感じるんだよな。

ジュースは氷なしで出てきたんだけど、後でウェイターが氷を持ってきてくれた。大丈夫かなって思って見てたら、「安全な水だから」って言って戻っていった。
メキシコでは(国内線の飛行機の中でもそうだった)、炭酸系のジュースはグラスに注がれている場合は氷が入っているが、果物ジュースは氷なしの場合が多かった。

9時を回ったので、ソカロの正面にある旅行会社に行き、カンペチェ行きの1等バスのチケットを購入する(手数料込で、1人N$103)。1等よりも上のクラスがあったけど、夕方まで出ないので、昼前に出発する1等バスにしておいた。

一端ホテルに戻り、荷物を詰め、ホテルを後にする。ホテルでタクシーを呼んでもらったら、N$5取られた。チップと思えばいいか。1等バス乗り場(CAME)までタクで10〜15分くらい?一方通行が多いので、直線距離にしたら近くても、意外と時間がかかったりする。それでも出発時刻の30分前には着き、スーツケースを預ける。(後でチケットの裏側に、荷物は30分以上前に預けてくださいと書いてあったが、ちゃんとバスに積まれていた。友人は心配になって確認してた。)
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by bluecult | 2005-04-30 19:56 |  ┣メキシコ
メリダの屋台
4日目(2005/4/10)Mérida

ツアーは一通り回った後、エルカスティージョに上る自由時間が与えられ14時に出口で再集合し、ランチを取るためレストランに向かう。この日はかなり大きめのレストランで、いろいろなツアー客が大集合していた。

先に来ていたらしい、ツアーのもう一団の方にいたアメリカ人夫婦が、食事をしている私たちを通りすがりに見つけて手を振ってくれた。遺跡の出口で待ち時間に少し話をしたので挨拶してくれたんだと思う。昨日一緒だったもう1組の元気なアメリカ人のイメージそのままの
夫婦とは違って、とっても穏やかな感じの夫婦で、どちらも老後の旅行で、カリフォルニアから来たとのこと。近いから気軽に来れるのかな。

さて、ランチはと言うと、ビュッフェ式だったけど、メニューはいまいち。メインのお肉は昨日と同じような種類、あとは普通のサラダやパンに、フルーツとデザートといった感じ。

ここで、カンクンへ向かう人たちとお別れ。ツアーの後、そのまま移動する手もあったのか、とこの時気が付いた。メリダからツアー客を乗せてきた車がカンクンへ向かうのではなく、どうやらカンクンからメリダに客を運んできた車で、客を交換するような形で、カンクンへ向かうらしく、食べ終わった後も、メリダへ帰る私たちはかなり待たされた。
(お陰で、エントランスに座ってダラダラしてる間に、帽子を忘れてきてしまったではないか!)

ホテルまで送り届けてもらい、メリダでのメインイベント(ウシュマル&チチェン・イツァー観光)も終了。歩き疲れたので、ホテルで一休み。

20時頃になって、晩ご飯を求めて再び外へ繰り出した。この日もソカロ周辺は歩行者天国になっていて、既に多くの人たちが街に出ていた
・・・というよりも、すでに帰ろうとしている?
昨日と違って、ソカロを囲むように、タコスやトウモロコシ、アイスクリームなどを売っている屋台がたくさん出ているが、片付けようとしている屋台も多かった。日曜日はメリダの夜は早いのかもしれない。レストランかカフェに行こうと思っていたが、屋台を試したくて、売っているモノを見つつウロウロ。地元の人が食べているお店がおいしいだろうと、まず春巻きみたいなものを1つ買ってみる。確かマルケシータと言ったかな。甘めのパリパリした生地の中央に、細かく刻まれたチーズを置いてくるくるっと巻いたもの。シンプルなんだけどおいしかった。

次に、タコス(Tacos)とトルタ(Torta)を1つずつ頼んで、友達と半分ずつ分ける。どちらも中身は同じで、トルティージャに載せて食べるか、コッペパンに挟んで食べるかの違いだった。なんせ安屋台なので、具は豚肉を細かく切った物とタマネギしか入ってなかったな・・・。

隣のお店ではタコスの具が自分で選べるようだったので、もう1つずつタコスを買って食べる。豚や鶏、さらに味付けが違う何種類かの具がボールに並んでいる。とりあえず、香草やトマトなど野菜しか入っていないものを選んでから、肉系の具を迷っている間に、野菜しか載っていないタコスを渡されてしまった(笑)ベジタリアンになった気分だったけど、まぁ、これはこれでおいしかった。

デザートに屋台のアイスクリーム。地元の人も大勢並んでいて(というか集っていて)数種類の味の中でマンゴーが大人気で売り切れていた。

すでにこの時点でお腹がいっぱいだったので、満足してホテルに帰った。
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by bluecult | 2005-04-30 17:02 |  ┣メキシコ
チチェン・イツァー遺跡(2)
4日目(2005/4/10)Mérida

■新チチェン・イツァー
<エルカスティージョ>
c0035559_19482377.jpg9世紀初頭に完成したと言われる神殿。
高さ25mで、9層の基盤を持ち、四面全てに階段がある。メソアメリカのピラミッド様式の神殿は、正面に階段を持つのが特徴らしいが。
階段の段数と基壇部の浮き彫りはすべてはマヤの農耕歴(ハアブ歴)と祭事歴(ツォルキン歴)を象徴している。

春分と秋分の日には、蛇頭ククルカンが残っている北側の階段に羽の影が出現する。(ぜひこの目で見てみたい〜!)
神殿の内部にも入ることができる。薄暗く、しかも細く急な階段を上ると、小さな神殿があり、チャック・モール像と翡翠の目を持つ赤いジャガー像がある。中はとても狭い(階段ですれ違えない)ので、入場制限をしている。

階段はかなり急だけれど(写真参照)、一番上まで上がった時の達成感と爽快感は格別。1周すれば360度見渡せる。果てしなく続く密林の中にポツポツと建造物の頭が顔を出している。
c0035559_1326963.jpgc0035559_1330637.jpg

<戦士の神殿>
c0035559_20163340.jpg石柱群に囲まれていることから、「千本柱の神殿」と呼ばれている。上壇には生け贄の心臓を捧げたチャック・モール像が置かれている。これもトルテカ文化の影響。

<ツォンパントリ>
c0035559_20324648.jpgツォンパントリとは「頭蓋骨の城」という意味。ここは生け贄の骸骨を大衆にさらす場所。これもトルテカ文化の影響。

<ジャガーと鷹の台座>
c0035559_20373412.jpgc0035559_2349288.jpg見えるかな?
左側に鷹、右側にジャガーのモチーフ。鷹は昼間の世界を支配する神、ジャガーは夜の世界を支配する神として崇められた。

この辺りの森にも棲んでいるジャガーを、マヤの人々は畏れていたのと同時に強さのシンボルとして見ていた。
トルテカ人は鷹を強さのシンボルとして見ていたようなので、このあたりにもトルテカの影響が出ているということだろうか。ガイドさんの説明では、鷹とジャガーでは、鷹の方が上らしい(・・・うろ覚え)。

<球戯場>
c0035559_004242.jpg全長150mもあるメソアメリカ最大の球戯場。
生ゴムのボールをサポーターをはめた上腕や足などを使って、壁の上部に付いている輪にくぐらせるゲームが競われた。マヤ人にとって球戯というのは豊穣を祈る宗教儀式だった。

コートの中は、よく音が響くように設計されている。当時は、コートの端と端にいる者(地位の高い者がこの位置に座ったらしい)が普通の大きさの声で普通に会話していたらしい。

勝ったチームのキャプテンは、その栄光を担い、生け贄として捧げられたという。輪の下あたりの基壇部分の壁には、その様子が描かれている。流れ出る7本の血潮が7匹の蛇となり、その先からは植物が芽を出そうとしているのが分かる。c0035559_002390.jpg

<ジャガーの神殿>
c0035559_23543647.jpg球戯場の東の壁に作られた小神殿。
その正面にはジャガー像が置かれている。その後ろの壁には、戦争の様子が描かれているが、これは10世紀のトルテカ人侵入の際の殺戮風景だと言われているらしい。

<聖なる泉セノテ>
チチェン・イツァーのセノテはユカタン半島最大規模であるだけではなく、神話に彩られた聖域でもある。日照りが続くと、若い処女が様々な貢ぎ物と一緒に、生け贄としてこの泉に投下された。また疫病が流行した際にも、遠方から巡礼者が訪れ、生け贄や財宝を捧げたという。1911年アメリカ領事トンプソンが調査した結果、21体の小児、13体の成人男子、8体の女性の骨が、黄金細工や翡翠などと一緒に発見されたという。
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by bluecult | 2005-04-30 15:20 |  ┣メキシコ
チチェン・イツァー遺跡(1)
4日目(2005/4/10)Mérida

本日はチチェン・イツァー遺跡へのツアー。9時にホテルに迎えが来る。アメリカ人2人、私たちを含め日本人3人、他4名がツアーに参加。この日のドライバーさんは昨日のガイドさんより聞きやすい英語だったから安心してたら、遺跡で昨日のガイドさんの一行と合流。スペイン語ガイドは今日のドライバーさん、英語ガイドは昨日のガイドさんという2つのグループに分かれることになった。英語ガイドのグループの中には、昨日のウシュマルで一緒だったアメリカ人夫婦とイタリア人夫婦がいて、昨日はほとんど話してないけど、挨拶を軽く交わす。

日曜日なので入場料無料かと思っていたが、どうやらメキシコ人だけみたい。私たち外国人は普通に入場料を払ったが、入り口がメキシコ人と外国人に分かれていたから。

チチェン・イツァーはウシュマルよりも広いし、さすがに観光客も比べ物にならないくらい多かった。メキシコに着いてから他に日本人を全く見なかったが、ここでは多くの日本人を見かけた。

チチェン・イツァー(Chichén Itzá)
チチェン・イツァーとは、マヤの言葉で「泉のほとりのイツァー人」という意味。ユカタン半島最大のセノテ(Cenote=聖なる泉)を中心に都市が繁栄したことからこう呼ばれるようになったのではないかと言われている。

6世紀頃のマヤ古典期に属する「旧チチェン・イツァー」と10世紀以降の後古典期に属する「新チチェン・イツァー」の2つのエリアに分けられる。
マヤ人は、暦によって定期的に遷都を行っていたため、7世紀には隆盛を誇ったこの都市から去り、10世紀になって再びこの地に戻り、新たな都を築いたとされる。
新遺跡には中央高原の戦闘部族トルテカ人の影響が見られる(マヤ・トルテカ文明)ため、この間にマヤ人とトルテカ人との文化交流があったことがうかがわれる。その後、軍事国家となり栄華を極めたが、13世紀初めにマヤパン族によって滅亡させられた。
◆マヤ・トルテカ文明
雨神チャックを祀った素朴なモチーフに、好戦的な兵士の像や、生け贄とされたドクロ、そしてトルテカの象徴であるククルカン(羽毛の蛇)が新たに描き加えられるようになっていった。

■旧チチェン・イツァー
<カラコル(El Caracol)>
c0035559_1538823.jpg古代マヤ人の天文台。
ドーム部分(カラコル=かたつむりの意)には、3つの窓が現存している。
南の窓は、真南に向かい、西南の窓は、月没の最北線を、西の窓からは、春分秋分の日没と月没の最北線を観測できる窓となっている。
台座の正面は、金星が最も北に沈む方向を向いているのだそうだ。

<尼僧院>
c0035559_23192426.jpgこの建物はトルテカ文化の影響を受けてないプウク様式で、外壁は数多くのチャック像で装飾されている。高さ20mの基壇の上にたくさんの部屋を持つ建物が建っている。尼僧院というが、その役割は実は不明。


<高僧の墳墓>
c0035559_23241429.jpgピラミッド型の神殿。
1985年に発掘された際に、本物の墓が見つかり、その中からは翡翠や真珠付きの貝殻などの財宝が発見された。

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by bluecult | 2005-04-29 14:23 |  ┣メキシコ