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by bluecult
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テオティワカン遺跡(1)
9日目(2005/4/15)Mexico City

メキシコに居れるのも、残るはあと1日。明日にはメキシコを発たなくてはいけない。今日は最後に残していたテオティワカン遺跡とお土産探しをしなくては。

一昨日ツアーの約束をしたTurismoの運転手セサルとホテルの前で待ち合わせ。7時にホテルの前に出ると、ちゃんと待っててくれた。テオティワカン遺跡はメキシコシティから車で約1時間なので、昨日コンビニで買っておいた朝食を車の中で食べつつ、窓の外を見ると、ちょうど出勤ラッシュなのか、メキシコシティに向かう反対車線は渋滞。テオティワカンに向かう道路は快調。

8時前にテオティワカン遺跡に到着。お土産物屋はまだ開いてなかったけど、遺跡の入り口の前には、結構人がいた。修学旅行か社会見学と思しき子供たちの姿も。しかし、中に入ってみると、遠くの方にパラパラと人影が見えるけど、周りには誰もいない。まるで貸し切り状態♪

テオティワカン(Teotihuacán)
紀元前2世紀頃に建設されたメキシコ最大の宗教都市。
このピラミッドを建設したのはテオティワカン人と言われているが、彼らがどこから来たのか、8世紀頃なぜ滅亡したのか、そしてその滅亡と同時にどこへ消えてしまったのかは現在も解明されていないらしい。

350〜650年頃に繁栄の頂点に達し、20万人以上の人口を擁していたと推測される。当時のヨーロッパと比較してみると、コンスタンティノープル(現イスタンブール)以外には人口2万人以上に達する都市はなかったということなので、いかに大きかったかが分かる。

政事はすべて神官が執り行い、その神官を頂点に、軍人、商人、職人と階級分けされ、職種別に各地区に暮らしていた。神官は高い数学、天文学の知識を持ち、ピラミッドの建造や宗教祭事を正確に取り決めていた。

人が去った後のテオティワカンを、後から訪れたアステカ人は、神々が建てた神殿だと信じ、彼らの持つ宇宙観ともいえる「太陽と月の神話」の舞台とした。「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」という名称もこの神話に基づいている。

テオティワカン遺跡(1)_c0035559_1974217.jpg

テオティワカンは、月のピラミッドを最北端に、南北にまっすぐ伸びた大通りを中心とした都市。ケツァルパパロトルの宮殿に一番近い入り口から入ると、月のピラミッドまで約2km。遠く感じるけど、歩くと意外と近かった。


by bluecult | 2005-06-05 03:06 |  ┣メキシコ
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