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4日目(2005/4/10)Mérida
本日はチチェン・イツァー遺跡へのツアー。9時にホテルに迎えが来る。アメリカ人2人、私たちを含め日本人3人、他4名がツアーに参加。この日のドライバーさんは昨日のガイドさんより聞きやすい英語だったから安心してたら、遺跡で昨日のガイドさんの一行と合流。スペイン語ガイドは今日のドライバーさん、英語ガイドは昨日のガイドさんという2つのグループに分かれることになった。英語ガイドのグループの中には、昨日のウシュマルで一緒だったアメリカ人夫婦とイタリア人夫婦がいて、昨日はほとんど話してないけど、挨拶を軽く交わす。 日曜日なので入場料無料かと思っていたが、どうやらメキシコ人だけみたい。私たち外国人は普通に入場料を払ったが、入り口がメキシコ人と外国人に分かれていたから。 チチェン・イツァーはウシュマルよりも広いし、さすがに観光客も比べ物にならないくらい多かった。メキシコに着いてから他に日本人を全く見なかったが、ここでは多くの日本人を見かけた。 チチェン・イツァー(Chichén Itzá) チチェン・イツァーとは、マヤの言葉で「泉のほとりのイツァー人」という意味。ユカタン半島最大のセノテ(Cenote=聖なる泉)を中心に都市が繁栄したことからこう呼ばれるようになったのではないかと言われている。 6世紀頃のマヤ古典期に属する「旧チチェン・イツァー」と10世紀以降の後古典期に属する「新チチェン・イツァー」の2つのエリアに分けられる。 マヤ人は、暦によって定期的に遷都を行っていたため、7世紀には隆盛を誇ったこの都市から去り、10世紀になって再びこの地に戻り、新たな都を築いたとされる。 新遺跡には中央高原の戦闘部族トルテカ人の影響が見られる(マヤ・トルテカ文明)ため、この間にマヤ人とトルテカ人との文化交流があったことがうかがわれる。その後、軍事国家となり栄華を極めたが、13世紀初めにマヤパン族によって滅亡させられた。 ◆マヤ・トルテカ文明 ■旧チチェン・イツァー <カラコル(El Caracol)> 古代マヤ人の天文台。 ドーム部分(カラコル=かたつむりの意)には、3つの窓が現存している。 南の窓は、真南に向かい、西南の窓は、月没の最北線を、西の窓からは、春分秋分の日没と月没の最北線を観測できる窓となっている。 台座の正面は、金星が最も北に沈む方向を向いているのだそうだ。 <尼僧院> この建物はトルテカ文化の影響を受けてないプウク様式で、外壁は数多くのチャック像で装飾されている。高さ20mの基壇の上にたくさんの部屋を持つ建物が建っている。尼僧院というが、その役割は実は不明。 <高僧の墳墓> ピラミッド型の神殿。 1985年に発掘された際に、本物の墓が見つかり、その中からは翡翠や真珠付きの貝殻などの財宝が発見された。
by bluecult
| 2005-04-29 14:23
| ┣メキシコ
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